『浦島太郎』は有名なおとぎ話ですが、現代人にとって理解しにくい点も多いですよね。いったいこの物語には、どんな教訓が込められているのでしょうか?
今回は『浦島太郎』について、以下の2点をメインに考察してみました。
- 作者が伝えたいこと(言いたい事)は何か
- どんな教訓があるのか
目次
現代版『浦島太郎』が伝えたいこと
『浦島太郎』の物語について、多くの絵本では「亀を助けた青年が竜宮城に招待されるが、現世に戻った後は老人になる」というストーリーが描かれています。
このストーリーを表面的に解釈するなら、教訓譚と考えるのが妥当でしょう。
善行は自分にも戻ってくる。
約束を破れば罰が当たる。
このような道徳的教訓を伝えるのが、現代版『浦島太郎』の役割だと考えられます。
- 正しく優しく生きていれば、自分にもいい結果が訪れる(浦島太郎は「動物を助ける」という善行をしたので、亀が恩返しをした)
- 約束を破ってはいけないという教訓(宝箱を開けてしまった)
しかし、このストーリーはあくまで現代版。
室町時代に作成された『御伽草子版 浦島太郎』は全く別のストーリーで、伝えたいことも違います。
そこで2章からは、御伽草子版について詳しく見ていきましょう。
御伽草子版『浦島太郎』が伝えたいこと
御伽草子版のストーリー
『御伽草子』に掲載されたストーリ
昔、浦島という貧しい漁民がいた。浦島は亀を釣り上げるが、かわいそうだからと海へ帰してやる。
すると数日後、女性が現れて浦島を「竜宮城」へと連れて行く。
女性の正体は浦島が助けた亀であり、2人は結婚して楽しく過ごした。
しかし3年経つと、浦島は両親が心配になって帰郷した。
故郷に戻ると700年の時間が経過しており、絶望した浦島はたまてばこを開けてしまう。
すると浦島は老人の姿へ。その後は鶴に変化して蓬莱山へと向かい、亀とともに夫婦の明神となる。
いかがでしょうか?
御伽草子版だと、乙姫と亀が同一人物。しかも浦島と乙姫は結婚していて、老人になった後は鶴に変身して再会します。
このように、御伽草子版と現代版とは全く違うストーリーなのです。
御伽草子版は『異類婚姻』であり『起源譚』である
御伽草子版の『浦島太郎』は、人間と亀が結婚する”異類婚姻譚”です。
異類婚姻譚とは、動物と人間が結婚する話のこと。日本ではるか昔から流行していた形式の1つです。
この異類婚姻譚ですが、実はストーリーが特徴的。というのも、人間側にメリットのある話が多いのです。
- 蛇と結婚したら金持ちになった
- 独身男が狐を助けたら、美しい女性に化けて嫁になってくれ
- 鶴が美しい女性に化けて、高価な錦を織ってくれた
富を授かるケースが多いですね。
『浦島太郎』の原作も、明らかに異類婚姻譚の基本形をモチーフにしています。
亀と結婚して神になるという結末なので、これは水神から加護を授かったという意味が含まれているのでしょう。
つまり、元々の『浦島太郎』は起源を語るための物語だと考えられます。
いわゆる起源譚ですね。
異類婚姻譚には”婚姻成功パターン”と”婚姻失敗パターン”があります。浦島太郎は成功パターンですが、失敗パターンだと悲惨な結末を迎えることも。例えば人間側がタブーを犯した結果、動物によって罰を与えられるストーリーもあります(例:蛇婿など)
現代版のストーリーは子供向けに「教訓」を追加
現代版ストーリーの教訓
原作の『浦島太郎』は、鶴になった浦島太郎と亀が結婚してハッピーエンドを迎えるというストーリーです。
内容的に、元々は起源譚だったと考察できますが…
現代版では、異類婚姻譚のシーンが丸ごと削除。しかも、亀と乙姫が別人として描かれています。
結末もガラッと変化したため、現代版の『浦島太郎』は動物報恩譚・教訓話などの意味が強いストーリーとして伝わっています。
現代版の『浦島太郎』は子供向けに加筆&修正した物語なので、ラブシーンを丸ごと削除したのでしょう。
そして私見ですが、現代版のストーリーは思想の変化や当時の流行などを追加したイメージがあります。
結末に込められた裏の意味!バッドエンドになる理由
『浦島太郎』の結末については、動物報恩譚や教訓譚としての意味が強いという話をしてきましたが、これはあくまで一説です。
考え方次第では、ネガティブな解釈も可能です。
あくまで一例ですが、以下のような解釈もあり得ます。
- 異種族との結婚を禁止する(当時の日本政府が、外国人との結婚を制限しようとしたため)
- 自分の居場所を捨てて、他国へと行った者への罰
浦島太郎は人間で、乙姫は人外。
2人の恋愛が失敗したのは、異種族との結婚を禁止したかったという当時の風潮が原因かもしれません。
また、共同体から逃げる者が出ないように『浦島太郎』という物語を通じて釘を刺した…という説もあり得ます。
この点については諸説あありますが、個人的にはどちらも考えられるパターンだと思ってます。
政府にせよ統治者にせよ、いつの時代も「都合の悪いものは隠す」という点で共通していますから。
表面上は教訓譚ですが、その本質は”子供たちに特定の価値観を植え付けること”だったのかもしれませんね。
補足|なぜ現代版は意味がわかりにくいのか?
『浦島太郎』の物語は、時代の流れによって解釈や意味が変更されてきました。
現代版については”子供向け”のストーリー要素が強く、動物報恩譚や教訓要素などが含まれています。
つまり、時代に合わせて大幅なアレンジを加えているのです。
そのため、現代版の『浦島太郎』は理解しがたいストーリーへと変化したのでしょう。
まとめ
現代版の『浦島太郎』は、教訓譚としてのイメージが強い物語です。素直に解釈するなら、次のように考えるのが妥当でしょう。
- 正しく優しい人には、良い結果が訪れる
- 約束を破ってはいけない
ただし、これは現代版の解釈です。
元々の『浦島太郎』は異類婚姻であり、ストーリー的には起源譚だったと考えられます。
現代版と原作とでは、ストーリーの意味(伝えたいこと)が全く違います。
現代版では大幅にアレンジが加えられているため、原作における『起源譚』としての要素は残っていません。
これは現代版の作者が、子供向けに『浦島太郎』という物語を作り直したためだと考えて良いでしょう。