平賀源内って何をした人?実は職業と発明品が多い天才だった

漫画「風雲児たち」のドラマ化が決定したので、登場人物の1人である「平賀源内(ひらがげんない)」についてまとめてみました!エレキテルで有名な人物ですが、そもそも本職は何だったのでしょうか?また、どんなものを発明したのでしょうか?

平賀源内の職業は?何をした人?

分析

➡前野良沢はどんな人?杉田玄白との関係や職業・子孫・お墓について調査

発明家でコピーライター!多すぎる副業

「平賀源内(ひらがげんない)」という名前を聞いた時、あなたはどんなキーワードを連想するでしょうか?

「エレキテルで有名な人でしょ?」と考える人が多いかと思いますが、実は源内さんは発明以外にもいろいろな事で知られていて、マルチな才能を持った天才だったと言われています。

【平賀源内】

江戸時代中頃の人物。本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家として知られる。

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E8%B3%80%E6%BA%90%E5%86%85

発明以外にも、蘭学・俳句・本草学などなど・・・多種多様というレベルを超えていますね。因みに、日本初のコピーライターだったとも言われています。早い話が、「副業」の数がハンパなく多い人だったのです。

結局、どれが本職だった?

いろいろな分野で活躍した人物ですが、「結局のところ、どれが本職だったの?」という疑問が浮かびますよね。

彼の本職は「本草学者(ほんぞうがくしゃ)」です。本草学とは、簡単に説明すると医療用の動植物を調査する仕事を指します。

学者なのに、絵も描くし発明もするし・・・とにかく副業がすごいので、江戸当時もかなりの有名人だったのだとか。

名言といえば?天才が残したセリフ

①良薬は口に苦く、出る杭は打たれる習ひ

ブック

平賀源内の名言といえば、やはりこれでしょう。「良薬口に苦し」と「出る杭は打たれる」の2つのことわざを混ぜていますね。現代でもよく使われる言葉です。

平賀源内のような才能に溢れた人物が「出る杭は打たれる」と言った・・・ということは、その才能を妬まれたことがあるのかもしれませんね((+_+))

②功ならず名ばかり遂げて年暮れぬ

因みに、源内さんは晩年に「功ならず名ばかり遂げて年暮れぬ」という言葉も残しています。

あまり有名な言葉ではありませんが、個人的に好きなので紹介しておきますね!

ザックリ説明すると「自分は名前ばかり売れて、大切なことができなかった」という意味らしいです。

源内さんは副業でバリバリ成果をあげましたが、本職で(本草学)ではあまり成果をあげられなかったらしく、そのことを嘆いた言葉だと言われています。

でも、それって贅沢ですよね(笑)何かの分野で成果をあげられたなら、それだけで儒分すごいことだと思うのですが・・・

エレキテル以外の発明品は?

実はエレキテルを発明していない!

正確には、エレキテルは平賀源内の発明品ではありません。彼がやったのは、発明ではなく修復です。

「そもそもエレキテルって何?」という人のために説明すると、これは「静電気の発生装置」のことを指します。

発明家としての業績には、オランダ製の静電気発生装置エレキテルの紹介、火浣布の開発がある。一説には竹とんぼの発明者ともいわれ、これを史上初のプロペラとする人もいる(実際には竹とんぼはそれ以前から存在する。該当項目参照)。気球や電気の研究なども実用化寸前までこぎ着けていたといわれる。

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E8%B3%80%E6%BA%90%E5%86%85

平賀源内の作った発明品

「じゃあ、どんなものを発明したの?」という話になりますが、有名なものは「火浣布(かかんぷ)」でしょう。

これは、火にかけると汚れが落ちる便利な布で、石綿で作られた発明品です。すごく便利な商品に思えますが、当時はすでに外国で似た商品が作られていたので、ほとんど売れなかったそうです。

あと「菅原櫛」も源内さんの発明品ですね。これは火浣布と違い、ものすごーく売れた発明品だったそうです。当時売れっ子だった遊女に櫛を付けてもらい宣伝したのだとか。

現代でもよくある宣伝方法ですよね。有名人が使っている商品は、つい買いたくなる・・・という心理をついた、画期的な宣伝方法です。

↓関連記事は下です↓

あなたへのオススメ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA